2018年7月下旬から9月上旬にかけて、インドネシアでは、継続的に地震が発生しました。中でも、8月5日にロンボク島で発生した地震と、9月28日にスラウェシ島で発生した地震は規模が大きく、物的人的被害も甚大なものとなっています。
ロンボク島の地震の際には、国内で対応可能としていたインドネシア政府も、スラウェシ島の地震および津波の発生後、国際社会からの救援を受け入れる表明をしました。
FIDRは、10月14日から20日にかけてロンボク島、スラウェシ島にスタッフを派遣し、支援に向けた調査を開始しました。
ロンボク島群発地震 | スラウェシ島中部地震・津波 | |
発生日 | 2018年8月5日午後7時36分 (日本時間午後8時46分) |
2018年9月28日午後6時2分頃 (日本時間午後7時2分頃) |
震源地 | 西ヌサトゥンガラ州ロンボク島北部 | 中部スラウェシ州 州都のパルの北78km |
地震の規模 | マグニチュード7.0 (震源深さ31km) |
マグニチュード7.4 (震源深さ10km) 6mの津波 |
死者 | 555人 | 2,100人 |
負傷者 | 1.413人以上 | 4,612人以上 |
避難民数 | 390,500人 | 78,994人 |
被災家屋数 | 805,000戸 | 68,451戸 |
ロンボク島で2018年7月から8月にかけて発生した群発地震。島の北部一帯で40万人以上の住民が避難生活を余儀なくされることになったにもかかわらず、行政や民間の支援は極めて少なかったため、FIDRは同年12月より現地のNGOと共同で仮設住宅の設置を進めました。
この仮設住宅は、竹材によるバンガロースタイルの造りでした。現地ではプレハブの仮設住宅もありましたが、それに比べて風通しが良く、明るいだけではなく、低コストでできあがり、環境にも優しいという点で、当地の状況に適していると判断しました。
仮設住宅の提供先は、高齢者や障がい者の世帯を優先して選んだ70世帯でした。当地では11月から3月まで雨季となりますが、現地のスタッフは作業のペースを落とすことなく設置を進め、2019年6月に70軒目の設置工事が完了しました。
「地震で家をなくしてしまいました。田んぼに掘っ建て小屋を建ててしのいでいましたが、雨が降るたびに、屋根から雨水が漏れて、床下にも水が入り込んでいます。今、このような丈夫な仮設住宅に住むことができて快適です」(スティアナさん、80歳、男性)
「地震が発生した後、避難者のキャンプに身を寄せましたが、また地震が来るのが怖かったです。この仮設住宅を建ててくれて、大変助かりました。今は安心して過ごしています」(スマイニさん、65歳、女性)
「地震で家が壊れてしまいました。小さい子どもがいるから、とても心配しましたが、今は安心して暮らせていますよ」(ナスルムさん、50歳、男性)
といった声が、現地の住民から寄せられました。
これをもって、ロンボク島での緊急支援活動を完了いたしました。この度の支援活動は、皆様からの温かいご寄付ならびに募金により実現することができました。心より感謝申し上げます。
ロンボク島でマグニチュード7.0の地震が発生してから、半年が経過しました。今なお、40万人以上といわれる人々が、あたり一面にがれきが残る中、崩れかけた自宅や廃材やビニールシートで作った小屋での生活を続けています。日本で冬にあたる期間は、現地では雨季のさなか。今も時折余震に見舞われ、人々は辛く不安な状況のままにおかれています。
地元の政府や国際社会からの支援は極めて限定的です。ロンボク島地震の後に発生したスラウェシ島の地震と津波の災害では、国際的に大きく報道され、日本政府を含む外国からの支援も多く寄せられたのとは対照的です。
FIDRは、ロンボク島で被災した住民が最も必要としているのは風雨をしのぎ、安眠とプライバシーを得ることができる仮設住宅であると判断し、昨年12月より、現地のNGOと共同で仮設住宅の設置を進めています。これまでに、約25棟が完成し、入居した人々から「風雨がしのげ、快適に過ごせるようになりました」といった声が聞かれています。
設置を進めている仮設住宅は、竹材を用いています。高温多雨の気候ゆえ、通気性が十分にあることが大切です。現地では政府などによりプレハブの仮設住宅も一部で提供されていますが、構造上、開口部が少ないために室内は極めてむし暑く、しかも暗いので、評判は芳しくありません。たとえ一時的な施設だとしても、そこに住まう人たちの利便性と気持ちに配慮し、できる範囲で最善の工夫をしたいと思います。日本の私たちは災害からの復興の経験を重ねてきたからこそ、被災者の立場に立ったきめの細かい対応の重要性を認識しています。今回のロンボク島の災害では、思いを同じくする現地NGOの協力を得ることができ、一人でも多く、1日も早く、元の生活に復帰するための足掛かりを得られるよう努力を続けています。
ロンボク島北部では地震発生から3か月以上たった今もなお、被災者は倒壊した自宅跡にビニールシートなどで作ったきわめて簡素な小屋で生活していることから、FIDRは仮設住宅の設置が急務であると判断し、現地のNGOと共同で支援を行います。
9月28日に地震と津波に襲われたスラウェシ島も被害は甚大でしたが、JICAをはじめとする外国からの支援、インドネシア政府の対応および国内の団体による支援はロンボク島よりも比較的多く向けられていると、10月に行った調査で判定しました。
ロンボク島北部では今も40万人以上が避難生活を送っているのですが、外国はもとより国内からの支援も少ないのは、被害についての報道が極めて少ないことが大きな要因です。被災者は、いわば忘れられたような状況に置かれています。
FIDRが支援する仮設住宅は、日本のようなプレハブ造りの建物ではありません。高温多雨の現地の気候に合うよう風通しがよく、かつ現地の資材と技術を用いて安価に設置できることが大切であることから、ロンボク島の丘陵部に豊富にある竹材を使って作ります。この仮設住宅は、耐久性も居住性も備え、人々が自宅を再建するまで十分に役立つと考えます。
スラウェシ島へ移動してきました。避難生活の様子です。
まだ余震も時々発生しているようです。パルから少し南に下ったあたりにあるシギの避難者のキャンプ。外国の団体が直接に支援を行うことは禁じられていますが、現地NGOが頑張っているようです。とはいえ、日本国内の災害に比べると支援のスピード感が段違いに遅いのは明らかでしょう。
外国の報道では災害そのものの恐ろしさを伝えはしても、災害の後に広がるこういった避難生活の様子はあまり取り上げられない気がします。せめて雨季に泥のぬかるみを取り除くことができるだけでも、心身の健康に少なからず効果があるはずです。テントや仮設住宅の床には簡易な舗装をするとか、歩道に砂利を敷くとか、何か知恵を絞りたいところです。
災害時の支援は迅速さは確かに必要ですが、同時に受益者の方々の立場になって、工夫やアレンジを取り入れる姿勢を忘れないようにしたいと思います。
ロンボク島北部の医療を担ってきた公立の地方病院。
今や天井が崩壊し、壁の亀裂も多いために危険と判断され、病院機能は屋外に建てられたテントの中に移りました。
幾つものテントが並び、砂埃が病床を吹き抜ける。そこでは野戦病院さながらの環境で、精一杯の懸命な診療活動が病院職員によって行われていました。高度な衛生管理が求められる手術室も、テントとコンテナを繋げた仮設でしのいでいます。
人々の拠り所となるべき病院施設を放棄せざるを得ず、リスクの高い屋外で患者さんが安心しきれない環境で診療を行なっている職員皆さんの無念さを慮ると辛いものがあります。
それでも、テント診療を日常風景に仕立て上げ、患者を救おうと奮闘している使命感には感服です。
病院崩壊から2ヶ月、ここに至るまで大きな壁を乗り越えてきたであろう彼らに、そういう人々に特有の逞しさを見ました。
10月14日から、この度のインドネシア地震で甚大な被害が出ている地域に入り、調査を開始しました。
7月末から8月にかけて発生したロンボク島群発地震は、日本ではあまり報道されていませんが、被害規模は甚大です。現地の人たちによると、インドネシア国内でも被害の実情をメディアが十分伝えていないとのこと。従って、被災者数も公に伝えられているよりもはるかに多いはずと言います。
驚くのは、地震発生から2か月以上たっても、ほとんど何の支援も受けていない被災者が随所に見受けられることです。政府は被災世帯に5000万ルピア(約38万円)を配布すると公表しているものの、実際の動きにはつながっておらず、人々の不満が高まっているようです。しかも、政府推奨の仮設住宅を入手するには、6000万ルピア(約46万円)を支払わなければならず、蓄えもなく職も失った多くの被災者には手が届くものではありません。
結果として今のところ、状況としては壊れた自宅跡にビニールシートや廃材などを使って小屋を拵え避難生活を送っているか、運よく援助団体の提供する仮設住宅に入居できたかのいずれかで、がれきの撤去も全く手つかずの状況では自宅再建などはまだ遠い話です。そして仮設住宅に入ったとしても、政府や現地援助団体が建設した建物は風通しも採光もまったく考えられていないような造りで、とても日中には室内にとどまっていることはできません。皆さん一様に、暑くてかなわないと言います。これからの雨季到来を考えると、通気性は特に重要です。
日本であれば、学校や公民館が避難所として機能しますが、こうした国では、そういう施設がない中、人々はほとんど自力、自己責任で災害を克服しなければならないのが、現状です。