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「同じ釜の飯」の繋がり

ブログを書いたスタッフ

大澤

震災がきっかけで、思わぬ繋がりが生まれています。

私も宮古市(田老地区)で被災し、3週間ほど避難所で生活しました。
不安でしょうがないとき、一緒にその場にいてくれる人たちの存在にどれだけ救われたでしょう。どうしたらいいのか分からない中、ただ挨拶を交わすだけで少しホッとしたものです。

今もなぜか、同じ避難所で生活した方に親近感を覚えます。
「同じ釜の飯」なのですね、大きな「家族」のようです。
お会いすると、お互いにいろんな「思い」を話します。
震災前のこと、震災当時のこと、避難所でのこと、そして、これからのこと。
「あの時は2人で1つのおむすびを食べたよね」
「うちの母さんはあそこで見つかったんだよ」
「津波の写真で、自分の家が写ってた」
「○○さんがまたこっちに戻ってくるんだって」
避難所ではあえて誰も口にしなかった、考えたくなかった、話したくなかった「思い」までも、話せるようになってきたのかもしれません。

私が活動する山田町では、ある避難所で一緒に生活した方たちが、繰り返し「同窓会」を開いています。「避難所同窓会」は、町に住む方のみならず盛岡に移住した方までもが集う再会の場です。離れて生活していても、会えばすぐに気持ちが通うのです。
そして、思い出話に花が咲きます。

「他愛もない話だぞ」と言いつつ、話の一端を嬉しそうに教えてくださった方がいらっしゃいました。

支援物資が届いたとき、よその子どものためにおむつをもらって帰ったこと。
同じ避難所で生活した小学生が中学に入学したとき、その子の参観日を観に行ったこと。
避難所に入った当時6カ月だった赤ちゃんが、避難所を出るときには歩き出したこと。
子どもたちの存在と成長にすごく癒された、と話してくださいました。
優しい目をして、まるでわが子のことの様に。

震災後、様々な人と同じ時間を過ごし、励まし合いました。
悲しみを和らげ、すこし安らぐことができた空間。
震災のつらい記憶だけでなく、良い出会いもたくさんありました。
被災してしまったことは変えられませんが、人の温かみに触れた貴重な体験でもあります。
時を経た今、住む場所が変わっても変わらない居場所があるのです。

お互いを気遣い、思いを語ることのできる繋がる場所。
この毎日の何気ない繋がりに、私はいつも感謝を覚えます。

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