久しぶりのネパールで感じたこと
左からグン職員、パートナーNGO・AYN(Action Youth Nepal)のシバジ職員、今西事務局長、杉田所長、AYNソーシャルモビライザーのギャンさん
事務局長の今西です。この春出張で、9年ぶりにネパールを訪れました。
出張の目的は、事務局長としてFIDRの活動とスタッフの様子を見ることでしたが、本ブログでは、出張時に驚いた2つの点と、初めてネパールへ行く人は驚くであろう熱烈な現地での歓迎についてお話したいと思います。
驚いたことの1つ目は、かなり奥地まで車で行けた、ということです。
私がFIDRの事業地であるソルクンブ郡、オカルドゥンガ郡を前回訪れたのは、約25年前でした。その頃は、首都カトマンズから両郡まで、車両が通行可能な道はなく、カトマンズから両郡の空港まで飛行機で移動し、そこから活動地へは長距離であっても歩いていくしかありませんでした。
そのため、現在はカトマンズから両郡まで車両で行けることは知っていつつも、車で入れるのはせいぜい郡庁などの公的機関がある中心地までで、そこから活動地である村々へはほとんど徒歩で行かなければならないだろうな、と予想していました。
ところが予想に反して、村の結構な奥地の集落まで車で行けて、車で入れない所へ行くために歩いたのも、一番長くてせいぜい30分くらいでした。車から降りたら、目的地となる集落や水源地などまで2~3時間は歩くと思っていたので、本当にびっくりしました。
それは、日本の農村地域を車で回るイメージとほとんど変わらないのではないかと思います。
驚いたことの2つ目は、電気やWIFIがほとんどの場所で使えた、ということです。
25年前は、電気がほとんど普及しておらず、各村々の家庭ではランプやろうそくを使用していました。
それが今回訪れた時は、公的機関やレストラン、カフェなどのお店はもちろん、山岳地域の各家庭でも、ほとんど電気を使うことができました。
夜になると停電することもありましたが、長時間止まっているようなことはなく、1時間以内で復旧しました。
さらに、25年前は見る影もなかったWIFIが、公的機関や飲食店、ゲストハウスなどでもパスワードを入力したら無料ですぐに使えるようになっていました。
日本では25年前、インターネットや電子メールはほとんど使われていませんでした。私の仕事のやり取りの手段も、ほとんど電話やFAXでした。それが今や、インターネットやWIFIは当たり前です。
ネパールの発展を目の当たりにして、そんな日本の歩みにも思いを馳せました。
また、電気やWIFIの他にも、オカルドゥンガ郡の中心地では、日本で言うマンションのような高い建物がたくさん作られ、カフェやお土産を売っている店もある観光地のような場所ができているのを目にして、驚きと共に、昔のような、建物も少なくのどかで静かな雰囲気が失われつつあるのは少し寂しいな、とも感じました。
最後に、驚くほど熱烈なネパールの歓迎についてお話しします。
ネパールでは歓迎の印に、お客様の首に花輪を掛ける習慣があります。私は経験したことがあったのですが、初めてネパールに行く人はきっと驚くと思います。行く先々で花輪をかけてもらい、さらに一度にたくさんの花輪をかけてもらうこともあったので、移動に使った車の中は、花輪でいっぱいになりました。
また、花輪をもらうときに、ティカという赤い粉を額に付けてくれるのも歓迎の印です。ティカはしばらくするとパラパラ落ちてきて衣服に付いたりするので、歓迎の気持ちに感謝しつつ、一つの訪問が終わるごとに拭き取っていました。もし拭き取らずに次の訪問先を回っていたら、私の額はすべてティカで真っ赤になっていたかもしれません。
そんな熱烈な歓迎を受けながら過ごした期間、忘れていたネパール語が段々と蘇ってきて、英語を交えながらも、現地の人たちとコミュニケーションを取ることができました。
久しぶりに訪れたネパールで感じた、懐かしさや驚き。今回の出張は、私にとって事務局長としての仕事の遂行というだけでなく、記憶を呼び覚まし心を動かす貴重な時間となったのでした。
訪問先の住民にティカを付けてもらう今西事務局長(右)