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サムロンセン奇譚

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小山直行

カンボジアの地図でほぼ真ん中に位置するコンポンレーン郡。ここはコンレイ山(過去記事「コンレイとプティサエン」)のふもとをぐるりと取り囲むように村が連なっています。

 

サムロンセンの集落はそこからぽつんと外れた場所に、こじんまりとたたずんでいます。雨季になるとトンレサップ川の水位が上昇し、あたり一面が冠水してしまう中で、わずかな高台に肩を寄せ合うように民家が立ち並んでいます。

 

集落の中心にあるサムロンセン寺の境内に入ると、年代物の大きな一本の丸太が大切に保管されていることに気づきます。

この木には、村の生い立ちの伝説があるのです。

 

お寺の門前で雑貨店を営むおばあさん。小さい頃に親からこんな話を聞いたよ、と語ってくれたのは…。

 

 

「むかしむかし。

 

アンコールの都を建設するには、大量の貝殻が必要だったんだよ。なぜかって?アンコールワットのような建物を作るには、石を積むだけでは十分な強さが無いから、貝殻を砕いて糊のようにして使ったんだよ。

 

だから、川で貝を獲っては大きな船に乗せて、都に至るトンレサップ川から湖までのぼって行ったんだ。

 

ある時、そんな船が途中で水面下の小高くなっているところに乗り上げてしまったと。船の底が壊れて水が入ってきてしまい、乗組員たちは一生懸命に掻き出したけど、とうとう沈んでしまったんだよ。

 

乗組員たちもみんな亡くなってしまったと。

 

けど、積み荷の貝は水中に散らばって、どんどん、どんどん増えたよ。

 

やがてその場所がだんだんと高くなり、ついには水面から出て陸地になった。

それがこのサムロンセンなのさ。

 

そしてどういうわけかその沈没した船の帆柱だけは、そこにずっと残っていたんだ。だからいまもこのお寺で村の人たちに大切に守られているというわけさ。」

 

お寺で大切に保存されているこの丸太にまつわる話は、違った筋立てのものもありますが、いずれにしても伝説の域を越えません。

 

ところが、大量の貝殻に関しては事実なのです。

 

サムロンセンは、カンボジアの考古学で重要な遺跡の一つに数えられています。

そうです。ここで貝塚が発見されているのです。

 

これまでの調査で、古い遺跡では今からおよそ4,000年前のものと判明しており、大量の貝殻のみならず、石器や陶器、工芸品も見つかっています。そのうちの数点は大英博物館にも収蔵されているようです。また陶器からはコメが発見されていることから、極めて早い時期から稲作が行われていた可能性も示唆されています。

 

首都プノンペン周辺はここ数年間で高層ビルや商業施設が立ち並ぶようになりました。そんな世界とは隔絶したサムロンセン。今、ここに暮らす住民の多くが厳しい生活状況に陥っています。

 

しかしサムロンセンには4千年におよぶ歴史があります。プノンペンよりもアンコール王朝よりもはるかに永く人間の営みが積み重なってきたのです。自然とともに生きた古代の人々が当時としては優れた文化を築いたのであれば、ここには地理的利点や風土の可能性があるはずです。それらを住民の方々とともに再発見し、魅力ある村おこしにつなげたいと思います。

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 サムロンセン小学校の子どもたち

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サムロンセン寺は境内の巨樹も一見の価値あり

 

参考文献

Vanna Ly(2010) “A Preliminary Petrographic Study of Pottery from the Prehistoric Shell Midden Site of Samrong Sen, Central Cambodia” The Journal of Sophia Asian Studies No.28, pp.1-25

Vanna Ly (2002)         “Rice Remains in the Prehistoric Pottery Tempers of the Shell Midden Site of Samrong Sen: Implications for Early Rice Cultivation in Central Cambodia” Aséanie 9, pp. 13-34

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